順位戦降級点・歴史クイズ(1~100問)
穴埋め式4択
- 降級点制度が初めて導入されたのは第___期でした。
- A) 15
- B) 16
- C) 17
- D) 18
- 答え: C) 17
- 説明: 第17期(1962年度)からB級2組以下に降級点制度が導入され、降級の基準が明確化。
- 第17期でB級2組の降級点数が___回に設定されました。
- A) 1
- B) 2
- C) 3
- D) 4
- 答え: B) 2
- 説明: 第17期からB級2組の降級点が2回に設定され、2回目でC級1組に降級。
- 第17期でC級1組の降級点数が___回に設定されました。
- A) 1
- B) 2
- C) 3
- D) 4
- 答え: B) 2
- 説明: 第17期からC級1組の降級点が2回に設定され、2回目でC級2組に降級。
- 第17期でC級2組の降級点数が___回に設定されました。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: B) 3
- 説明: 第17期からC級2組の降級点が3回に設定され、3回目でフリークラスに陥落。
- 第40期から第45期までC級2組の降級点制が廃止され、再導入されたのは第___期でした。
- A) 44
- B) 45
- C) 46
- D) 47
- 答え: C) 46
- 説明: 第40期(1981年度)から降級点制が一時廃止され、第46期(1987年度)から3回制で復活。
- 第1期順位戦の開始年は___年でした。
- A) 1945
- B) 1946
- C) 1947
- D) 1948
- 答え: B) 1946
- 説明: 第1期(1946年度)は戦後初の順位戦として開始され、木村義雄が名人位を防衛。
- 第2期で初めて実施された挑戦者決定戦の対局数は___局でした。
- A) 1
- B) 2
- C) 3
- D) 4
- 答え: C) 3
- 説明: 第2期(1947年度)の「高野山の決戦」で、大山康晴が升田幸三を3局目で破り挑戦者に。
- 第3期でC級2組にアマチュア選手が参加した人数は___人でした。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: B) 3
- 説明: 第3期(1948年度)でアマ名人戦上位3人がC級2組に参加。財政難対策の一環。
- 第4期でC級2組に奨励会員が参加した人数は___人でした。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: C) 4
- 説明: 第4期(1949年度)で奨励会員4人がC級2組に参加し、清野静男と神田鎮雄が昇級。
- 第68期で降級点3回により引退した棋士の数は___人でした。
- A) 1
- B) 2
- C) 3
- D) 4
- 答え: B) 2
- 説明: 第68期(2009年度)で有吉道夫と大内延介がC級2組で降級点3回を喫し引退。
- 第75期で加藤一二三が引退した時の降級点数は___回でした。
- A) 1
- B) 2
- C) 3
- D) 4
- 答え: C) 3
- 説明: 第75期(2016年度)で加藤一二三がC級2組で3つ目の降級点を喫し、フリークラス陥落で引退。
- 第74期でB級2組から降級した棋士の数は___人でした。
- A) 3
- B) 4
- C) 5
- D) 6
- 答え: C) 5
- 説明: 第74期(2015年度)B級2組で降級点累積者8人のうち5人が降級。最多記録(当時)。
- 第83期でC級1組から降級した棋士の数は___人でした。
- A) 4
- B) 5
- C) 6
- D) 7
- 答え: C) 6
- 説明: 第83期(2024年度)C級1組で降級点累積者8人のうち6人が降級。過去最多記録。
- 第53期から導入されたフリークラス制度の最長在籍期間は___年でした。
- A) 20
- B) 21
- C) 22
- D) 23
- 答え: D) 23
- 説明: 第53期(1994年度)からフリークラス制度が導入され、最長23年(最短8年+15年)が規定。
- 第17期で降級点制が導入された時のB級2組降級枠は___人でした。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: C) 4
- 説明: 第17期からB級2組の降級枠が4人に設定され、降級点2回でC級1組に降級。
- 第17期で降級点制が導入された時のC級1組降級枠は___人でした。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: C) 4
- 説明: 第17期からC級1組の降級枠が4人に設定され、降級点2回でC級2組に降級。
- 第17期で降級点制が導入された時のC級2組降級枠は___人でした。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: C) 4
- 説明: 第17期からC級2組の降級枠が4人に設定され、降級点3回でフリークラスに陥落。
- 第1期のA級参加人数は___人でした。
- A) 6
- B) 7
- C) 8
- D) 9
- 答え: C) 8
- 説明: 第1期(1946年度)A級は8名参加で総当たり7局制。木村義雄が名人位を防衛。
- 第6期でC級が2クラスに分割された時の参加人数は___人でした。
- A) 20
- B) 22
- C) 24
- D) 26
- 答え: B) 22
- 説明: 第6期(1951年度)でC級がC級1組とC級2組に分割され、計22人が参加。
- 第7期でB級が2クラスに分割された時のB級1組参加人数は___人でした。
- A) 11
- B) 12
- C) 13
- D) 14
- 答え: C) 13
- 説明: 第7期(1952年度)でB級1組が13名総当たり12局制に。以降人数変動。
- 第27期でB級2組の対局数が___局に統一されました。
- A) 8
- B) 9
- C) 10
- D) 11
- 答え: C) 10
- 説明: 第27期(1972年度)からB級2組が10局制に統一され、降級点制と連動。
- 第53期でフリークラス宣言時の年齢上限が___歳に設定されました。
- A) 40
- B) 42
- C) 45
- D) 50
- 答え: B) 42
- 説明: 第53期(1994年度)からフリークラス宣言は満42歳以下かつB級1組在籍時に限定。
- 第66期でフリークラス編入時の年齢上限が___歳に設定されました。
- A) 25
- B) 26
- C) 27
- D) 28
- 答え: B) 26
- 説明: 第66期(2007年度)から編入条件が26歳以下で三段リーグ次点2回に設定。
- 第79期でB級1組の降級枠が___人に変更されました。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: B) 3
- 説明: 第79期(2020年度)からB級1組の降級枠が2人から3人に拡大。制度見直しの一環。
- 第17期で降級点制導入時に降級点を受けたB級2組棋士の数は___人でした。
- A) 3
- B) 4
- C) 5
- D) 6
- 答え: B) 4
- 説明: 第17期でB級2組の降級点対象が下位4人に設定され、初年度4人が降級点を受けた。
- 第17期で降級点制導入時に降級点を受けたC級1組棋士の数は___人でした。
- A) 3
- B) 4
- C) 5
- D) 6
- 答え: B) 4
- 説明: 第17期でC級1組の降級点対象が下位4人に設定され、初年度4人が降級点を受けた。
- 第17期で降級点制導入時に降級点を受けたC級2組棋士の数は___人でした。
- A) 3
- B) 4
- C) 5
- D) 6
- 答え: B) 4
- 説明: 第17期でC級2組の降級点対象が下位4人に設定され、初年度4人が降級点を受けた。
- 第5期で挑戦者決定戦が廃止された時のA級対局数は___局でした。
- A) 6
- B) 7
- C) 8
- D) 9
- 答え: B) 7
- 説明: 第5期(1950年度)でA級が8名7局制。挑戦者決定戦廃止で優勝者が挑戦者に。
- 第36期でA級の名称が変更された時の対局数は___局でした。
- A) 8
- B) 9
- C) 10
- D) 11
- 答え: B) 9
- 説明: 第36期(1976年度)でA級が「名人戦挑戦者決定リーグ」に改称され、10名9局制に。
- 第53期でフリークラス制度導入時のC級2組降級枠は___人でした。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: C) 4
- 説明: 第53期(1994年度)でC級2組の降級枠は4人のまま。降級点3回でフリークラスに。
- 第1期でA級から降級した棋士の数は___人でした。
- A) 1
- B) 2
- C) 3
- D) 4
- 答え: A) 1
- 説明: 第1期(1946年度)でA級降級枠は1人。塚田正夫が降級した。
- 第6期でA級から降級した棋士の数は___人でした。
- A) 1
- B) 2
- C) 3
- D) 4
- 答え: B) 2
- 説明: 第6期(1951年度)からA級降級枠が2人に拡大され、2人がB級1組に降級。
- 第7期でB級1組から降級した棋士の数は___人でした。
- A) 1
- B) 2
- C) 3
- D) 4
- 答え: B) 2
- 説明: 第7期(1952年度)でB級1組が創設され、降級枠2人で2人がB級2組に降級。
- 第27期でB級2組の降級枠が___人に統一されました。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: C) 4
- 説明: 第27期(1972年度)からB級2組の降級枠が4人に統一され、10局制と連動。
- 第53期でフリークラス宣言時の最短在籍年数は___年でした。
- A) 6
- B) 7
- C) 8
- D) 9
- 答え: C) 8
- 説明: 第53期(1994年度)でフリークラス宣言時の最短在籍がB級1組の8年に設定。
- 第66期でフリークラス編入時の試験対局数は___局でした。
- A) 4
- B) 5
- C) 6
- D) 7
- 答え: B) 5
- 説明: 第66期(2007年度)から編入試験が5局制に。瀬川晶司が3勝2敗で合格。
- 第17期で降級点制導入時のB級2組参加人数は___人でした。
- A) 20
- B) 22
- C) 24
- D) 26
- 答え: B) 22
- 説明: 第17期(1962年度)でB級2組が22人参加。降級点制初適用。
- 第17期で降級点制導入時のC級1組参加人数は___人でした。
- A) 24
- B) 26
- C) 28
- D) 30
- 答え: B) 26
- 説明: 第17期(1962年度)でC級1組が26人参加。降級点制初適用。
- 第17期で降級点制導入時のC級2組参加人数は___人でした。
- A) 30
- B) 32
- C) 34
- D) 36
- 答え: B) 32
- 説明: 第17期(1962年度)でC級2組が32人参加。降級点制初適用。
- 第74期でB級2組の降級点累積者は___人でした。
- A) 6
- B) 7
- C) 8
- D) 9
- 答え: C) 8
- 説明: 第74期(2015年度)B級2組で降級点累積者8人のうち5人が降級。最多記録(当時)。
- 第83期でC級1組の降級点累積者は___人でした。
- A) 6
- B) 7
- C) 8
- D) 9
- 答え: C) 8
- 説明: 第83期(2024年度)C級1組で降級点累積者8人のうち6人が降級。過去最多。
- 第1期で順位戦を主催した新聞社は___でした。
- A) 毎日新聞社
- B) 朝日新聞社
- C) 読売新聞社
- D) 産経新聞社
- 答え: A) 毎日新聞社
- 説明: 第1期(1946年度)から順位戦は毎日新聞社主催で開始。以降共催も。
- 第2期で挑戦者決定戦が行われた場所は___でした。
- A) 東京
- B) 大阪
- C) 高野山
- D) 名古屋
- 答え: C) 高野山
- 説明: 第2期(1947年度)の「高野山の決戦」で大山康晴が升田幸三を破り挑戦者に。
- 第5期で挑戦者となった棋士の年齢は___歳でした。
- A) 23
- B) 24
- C) 25
- D) 26
- 答え: B) 24
- 説明: 第5期(1950年度)で大山康晴が24歳でA級優勝し挑戦者に。最年少記録(当時)。
- 第36期でA級の名称が変更された時の参加人数は___人でした。
- A) 8
- B) 9
- C) 10
- D) 11
- 答え: C) 10
- 説明: 第36期(1976年度)でA級が10名9局制に。「名人戦挑戦者決定リーグ」に改称。
- 第53期でフリークラス制度導入時の引退条件は勝率___未満でした。
- A) 4割
- B) 5割
- C) 6割
- D) 7割
- 答え: B) 5割
- 説明: 第53期(1994年度)からフリークラス宣言後の引退条件が勝率5割未満に設定。
- 第66期でフリークラス編入第1号となった棋士の年齢は___歳でした。
- A) 25
- B) 26
- C) 27
- D) 28
- 答え: C) 27
- 説明: 第66期(2007年度)で瀬川晶司が27歳で編入試験に合格。2005年に実施。
- 第17期で降級点制導入時のB級2組昇級枠は___人でした。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: B) 3
- 説明: 第17期(1962年度)でB級2組の昇級枠が3人。降級点制と並行して適用。
- 第27期でC級1組の降級枠が___人に統一されました。
- A) 2
- B) 3
- C) 4
- D) 5
- 答え: C) 4
- 説明: 第27期(1972年度)からC級1組の降級枠が4人に統一され、10局制と連動。
- 第79期でB級1組の降級枠が3人に変更された時の対局数は___局でした。
- A) 10
- B) 11
- C) 12
- D) 13
- 答え: C) 12
- 説明: 第79期(2020年度)でB級1組が13名12局制。降級枠が3人に変更。
選択式4択
- 降級点制度が導入された目的は何ですか?
- A) 昇級枠拡大
- B) 公平性向上
- C) 棋士数減少
- D) 財政支援
- 答え: B) 公平性向上
- 説明: 第17期(1962年度)から降級点制が導入され、降級の公平性と明確性が確保された。
- 第17期でB級2組の降級点が2回に設定された理由は何ですか?
- A) 棋士数増加
- B) 降級枠拡大
- C) 公平性向上
- D) フリークラス対策
- 答え: C) 公平性向上
- 説明: 第17期でB級2組の降級点が2回に設定され、C級1組への降級条件が明確化。
- 第17期でC級1組の降級点が2回に設定された理由は何ですか?
- A) 昇級枠増加
- B) 公平性向上
- C) 棋士数減少
- D) 財政難対策
- 答え: B) 公平性向上
- 説明: 第17期でC級1組の降級点が2回に設定され、C級2組への降級条件が明確化。
- 第17期でC級2組の降級点が3回に設定された理由は何ですか?
- A) 棋士数増加
- B) 公平性向上
- C) フリークラス導入
- D) 昇級枠拡大
- 答え: B) 公平性向上
- 説明: 第17期でC級2組の降級点が3回に設定され、フリークラスへの陥落条件が明確化。
- 第40期でC級2組の降級点制が廃止された理由は何ですか?
- A) 制度見直し
- B) 棋士数減少
- C) フリークラス導入
- D) 昇級枠拡大
- 答え: A) 制度見直し
- 説明: 第40期(1981年度)から第45期までC級2組の降級点制が廃止。制度簡素化が目的。
- 第1期順位戦の目的は何でしたか?
- A) 名人戦復活
- B) 棋士数増加
- C) 財政支援
- D) 昇級枠拡大
- 答え: A) 名人戦復活
- 説明: 第1期(1946年度)は戦後中断していた名人戦を復活させるため、順位戦が開始された。
- 第2期で挑戦者決定戦が導入された理由は何ですか?
- A) 公平性向上
- B) 棋士数増加
- C) 財政難対策
- D) 降級枠拡大
- 答え: A) 公平性向上
- 説明: 第2期(1947年度)でA級1位と2位の挑戦者決定戦が導入され、挑戦者選出の公平性が向上。
- 第3期でアマチュア選手がC級2組に参加した理由は何ですか?
- A) 棋士増員
- B) 財政難対策
- C) ルール試験
- D) 昇級枠拡大
- 答え: B) 財政難対策
- 説明: 第3期(1948年度)で財政難からアマ名人戦上位3人がC級2組に参加。
- 第4期で奨励会員がC級2組に参加した理由は何ですか?
- A) 棋士増員
- B) 財政支援
- C) ルール見直し
- D) 降級枠拡大
- 答え: A) 棋士増員
- 説明: 第4期(1949年度)で奨励会員4人が参加し、棋士不足解消が目的。
- 第68期で降級点3回により引退した棋士の1人は誰ですか?
- A) 加藤一二三
- B) 有吉道夫
- C) 大内延介
- D) 両者(BとC)
- 答え: D) 両者(BとC)
- 説明: 第68期(2009年度)で有吉道夫と大内延介がC級2組で降級点3回を喫し引退。
- 第75期で加藤一二三が引退した理由は何ですか?
- A) 全敗
- B) 降級点3回
- C) 年齢規定
- D) 両者(BとC)
- 答え: B) 降級点3回
- 説明: 第75期(2016年度)で加藤一二三がC級2組で降級点3回を喫し、フリークラス陥落で引退。
- 第74期でB級2組から5人降級した理由は何ですか?
- A) 降級点累積者増加
- B) 昇級枠拡大
- C) 棋士数減少
- D) ルール変更
- 答え: A) 降級点累積者増加
- 説明: 第74期(2015年度)で降級点累積者8人のうち5人が降級。最多記録(当時)。
- 第83期でC級1組から6人降級した理由は何ですか?
- A) 降級点累積者増加
- B) 昇級枠減少
- C) 棋士数増加
- D) ルール変更
- 答え: A) 降級点累積者増加
- 説明: 第83期(2024年度)で降級点累積者8人のうち6人が降級。過去最多。
- 第53期でフリークラス制度が導入された理由は何ですか?
- A) 引退者減少
- B) 棋士数増加
- C) 昇級枠拡大
- D) 財政難対策
- 答え: A) 引退者減少
- 説明: 第53期(1994年度)でフリークラスが導入され、降級点による引退者を減らす目的。
- 第17期で降級点制が導入されたクラスはどこですか?
- A) A級とB級1組
- B) B級2組以下
- C) C級1組のみ
- D) 全クラス
- 答え: B) B級2組以下
- 説明: 第17期(1962年度)からB級2組、C級1組、C級2組に降級点制が導入。
- 第1期のA級優勝者は誰ですか?
- A) 木村義雄
- B) 升田幸三
- C) 大山康晴
- D) 塚田正夫
- 答え: A) 木村義雄
- 説明: 第1期(1946年度)で木村義雄がA級優勝し、名人位を防衛。初代順位戦覇者。
- 第2期で挑戦者決定戦を制した棋士は誰ですか?
- A) 木村義雄
- B) 升田幸三
- C) 大山康晴
- D) 塚田正夫
- 答え: C) 大山康晴
- 説明: 第2期(1947年度)の「高野山の決戦」で大山康晴が升田幸三を破り挑戦者に。
- 第5期で挑戦者決定戦が廃止された理由は何ですか?
- A) ルール簡素化
- B) 棋士数減少
- C) 財政難解消
- D) プレーオフ導入
- 答え: A) ルール簡素化
- 説明: 第5期(1950年度)で挑戦者決定戦が廃止され、A級優勝者が挑戦者に。簡素化が目的。
- 第6期でC級が2クラスに分割された理由は何ですか?
- A) 棋士数増加
- B) 降級枠拡大
- C) 財政支援
- D) タイトル新設
- 答え: A) 棋士数増加
- 説明: 第6期(1951年度)で棋士数増加に伴い、C級がC級1組とC級2組に分割。
- 第7期でB級が2クラスに分割された理由は何ですか?
- A) 昇級枠増加
- B) 棋士数増加
- C) 降級点導入
- D) フリークラス創設
- 答え: B) 棋士数増加
- 説明: 第7期(1952年度)で棋士数増加に伴い、B級がB級1組とB級2組に分割。
- 第27期でB級2組の対局数が10局に統一された理由は何ですか?
- A) 公平性確保
- B) 財政難対策
- C) 昇級枠増加
- D) フリークラス導入
- 答え: A) 公平性確保
- 説明: 第27期(1972年度)からB級2組が10局制に統一され、降級点制との連動が強化。
- 第53期でフリークラス宣言の年齢上限が42歳に設定された理由は何ですか?
- A) 引退者減少
- B) 棋士数増加
- C) 昇級枠拡大
- D) 財政支援
- 答え: A) 引退者減少
- 説明: 第53期(1994年度)で満42歳以下が条件に。引退者を減らし現役継続を促す目的。
- 第66期でフリークラス編入の年齢上限が26歳に設定された理由は何ですか?
- A) 若手支援
- B) 棋士数増加
- C) 降級枠拡大
- D) 財政難対策
- 答え: A) 若手支援
- 説明: 第66期(2007年度)で26歳以下が条件に。アマや女流の若手育成が目的。
- 第79期でB級1組の降級枠が3人に変更された理由は何ですか?
- A) 制度見直し
- B) 昇級枠増加
- C) 棋士数減少
- D) フリークラス拡大
- 答え: A) 制度見直し
- 説明: 第79期(2020年度)で降級枠が3人に変更。昇降級バランスの調整が目的。
- 第17期で降級点制導入時にB級2組の下位何人が降級点を受けたか?
- A) 2人
- B) 3人
- C) 4人
- D) 5人
- 答え: C) 4人
- 説明: 第17期でB級2組の下位4人が降級点を受け、2回目でC級1組に降級。
- 第1期でA級から降級した棋士は誰ですか?
- A) 木村義雄
- B) 升田幸三
- C) 塚田正夫
- D) 大山康晴
- 答え: C) 塚田正夫
- 説明: 第1期(1946年度)で塚田正夫がA級から降級。降級枠1人の初適用。
- 第6期でA級の降級枠が2人に変更された理由は何ですか?
- A) 棋士数増加
- B) 公平性向上
- C) 昇級枠拡大
- D) 財政支援
- 答え: A) 棋士数増加
- 説明: 第6期(1951年度)で棋士数増加に伴い、A級降級枠が2人に拡大。
- 第7期でB級1組の降級枠が2人に設定された理由は何ですか?
- A) クラス創設
- B) 降級点導入
- C) 棋士数減少
- D) 財政難対策
- 答え: A) クラス創設
- 説明: 第7期(1952年度)でB級1組が創設され、降級枠が2人に設定。
- 第27期でB級2組の降級枠が4人に統一された理由は何ですか?
- A) 対局数統一
- B) 棋士数増加
- C) 降級点導入
- D) 財政支援
- 答え: A) 対局数統一
- 説明: 第27期(1972年度)で10局制統一に伴い、B級2組の降級枠が4人に設定。
- 第53期でフリークラス制度導入時の引退条件は何ですか?
- A) 通算200勝未満
- B) 勝率5割未満
- C) 年齢60歳到達
- D) 降級点3回
- 答え: B) 勝率5割未満
- 説明: 第53期(1994年度)からフリークラス宣言後の引退条件が勝率5割未満に設定。
- 第66期でフリークラス編入第1号となった棋士は誰ですか?
- A) 瀬川晶司
- B) 古賀悠聖
- C) 加藤一二三
- D) 藤井聡太
- 答え: A) 瀬川晶司
- 説明: 第66期(2007年度)で瀬川晶司が2005年に編入試験に合格。制度化の契機に。
- 第17期で降級点制導入時にC級1組の下位何人が降級点を受けたか?
- A) 2人
- B) 3人
- C) 4人
- D) 5人
- 答え: C) 4人
- 説明: 第17期でC級1組の下位4人が降級点を受け、2回目でC級2組に降級。
- 第17期で降級点制導入時にC級2組の下位何人が降級点を受けたか?
- A) 2人
- B) 3人
- C) 4人
- D) 5人
- 答え: C) 4人
- 説明: 第17期でC級2組の下位4人が降級点を受け、3回目でフリークラスに陥落。
- 第74期でB級2組の降級点累積者8人のうち降級を免れたのは何人ですか?
- A) 1人
- B) 2人
- C) 3人
- D) 4人
- 答え: C) 3人
- 説明: 第74期(2015年度)で降級点累積者8人のうち5人が降級し、3人が免れた。
- 第83期でC級1組の降級点累積者8人のうち降級を免れたのは何人ですか?
- A) 1人
- B) 2人
- C) 3人
- D) 4人
- 答え: B) 2人
- 説明: 第83期(2024年度)で降級点累積者8人のうち6人が降級し、2人が免れた。
- 第1期で順位戦が開始された背景は何ですか?
- A) 戦後復興
- B) 棋士数増加
- C) 財政難対策
- D) タイトル新設
- 答え: A) 戦後復興
- 説明: 第1期(1946年度)は戦後復興の一環として、名人戦復活のために順位戦が開始。
- 第2期の挑戦者決定戦が高野山で行われた理由は何ですか?
- A) 伝統保持
- B) 財政支援
- C) 公平性向上
- D) 観光振興
- 答え: D) 観光振興
- 説明: 第2期(1947年度)の「高野山の決戦」は観光振興も兼ねて高野山で開催。
- 第5期で挑戦者決定戦が廃止された時のA級優勝者は誰ですか?
- A) 木村義雄
- B) 升田幸三
- C) 大山康晴
- D) 塚田正夫
- 答え: C) 大山康晴
- 説明: 第5期(1950年度)で大山康晴がA級優勝し、挑戦者決定戦廃止後初の挑戦者に。
- 第36期でA級の名称が「名人戦挑戦者決定リーグ」に変更された理由は何ですか?
- A) ルール明確化
- B) 財政支援
- C) 棋士数増加
- D) 降級枠拡大
- 答え: A) ルール明確化
- 説明: 第36期(1976年度)でA級の役割を明確化するため改称。
- 第53期でフリークラス制度導入時のC級2組降級点は何回でしたか?
- A) 1回
- B) 2回
- C) 3回
- D) 4回
- 答え: C) 3回
- 説明: 第53期(1994年度)でC級2組の降級点は3回のまま。フリークラスへの陥落条件。
- 第66期でフリークラス編入が制度化されたきっかけは誰ですか?
- A) 瀬川晶司
- B) 古賀悠聖
- C) 加藤一二三
- D) 藤井聡太
- 答え: A) 瀬川晶司
- 説明: 第66期(2007年度)で瀬川晶司の2005年編入を受け、制度化された。
- 第17期で降級点制導入時のB級2組昇級枠は何人でしたか?
- A) 2人
- B) 3人
- C) 4人
- D) 5人
- 答え: B) 3人
- 説明: 第17期(1962年度)でB級2組の昇級枠が3人。降級点制と並行適用。
- 第27期でC級1組の降級枠が4人に統一された理由は何ですか?
- A) 対局数統一
- B) 棋士数増加
- C) 降級点導入
- D) 財政支援
- 答え: A) 対局数統一
- 説明: 第27期(1972年度)で10局制統一に伴い、C級1組の降級枠が4人に設定。
- 第79期でB級1組の降級枠が3人に変更された時の昇級枠は何人でしたか?
- A) 1人
- B) 2人
- C) 3人
- D) 4人
- 答え: B) 2人
- 説明: 第79期(2020年度)で降級枠が3人に変更されたが、昇級枠は2人のまま。
- 第1期でA級対局数が7局だった理由は何ですか?
- A) 参加人数8人
- B) 財政難
- C) ルール簡素化
- D) タイトル新設
- 答え: A) 参加人数8人
- 説明: 第1期(1946年度)A級は8名参加で総当たり7局制。
- 第6期でC級が2クラスに分割された時の昇級枠は何人でしたか?
- A) 2人
- B) 3人
- C) 4人
- D) 5人
- 答え: B) 3人
- 説明: 第6期(1951年度)でC級1組とC級2組の昇級枠が各3人に設定。
- 第7期でB級1組の対局数が12局に設定された理由は何ですか?
- A) 参加人数13人
- B) 降級枠増加
- C) 財政難対策
- D) ルール見直し
- 答え: A) 参加人数13人
- 説明: 第7期(1952年度)でB級1組が13名総当たり12局制に。
- 第53期でフリークラス宣言の最長在籍期間が23年に設定された理由は何ですか?
- A) 最短在籍8年+15年
- B) 棋士数増加
- C) 昇級枠拡大
- D) 財政支援
- 答え: A) 最短在籍8年+15年
- 説明: 第53期(1994年度)で最短8年(B級1組)と15年の合計23年が規定。
- 第66期でフリークラス編入の試験対局数が5局に設定された理由は何ですか?
- A) 公平性確保
- B) 棋士数増加
- C) 降級枠拡大
- D) 財政難対策
- 答え: A) 公平性確保
- 説明: 第66期(2007年度)で5局制が設定され、実力判定の公平性が確保された。
- 第79期でB級1組の降級枠が3人に変更された時の参加人数は何人でしたか? –
- A) 11人 –
- B) 12人 –
- C) 13人 –
- D) 14人 –
- 答え: C) 13人 – 説明: 第79期(2020年度)でB級1組が13名12局制。降級枠が3人に変更。
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